遅くなりましたが、教養と社会班の文献リストおよび解題をアップロードさせていただきます。
明日、よろしくお願いいたします。
夏休み中、下記日程で自主ゼミを行います。
内容は前半にがCraft of Researchの読書会、後半が希望者による研究相談等です。基本的にM1・D1向けですが、ご希望の方はご自由にご参加ください。前半のみ/後半のみでも構いません。
日程・Craft of Research割振・研究報告割振
8/02 土 Chap.1 (原)
8/08 金 Chap.2 (田中)
8/15 金 Chap.3 (嶋田)・原
8/20 水 Chap.4 (井上)・久保田
8/27 水 Chap.5 (嶋田)・嶋田
9/01 月 Chap.6 (加藤)・田中
9/05 金 Chap.7-8 (夏)・夏
9/12 金 Chap.9-10 (田中)・研究報告未定
9/18 木 Chap.11 (久保田)・研究報告未定
各日14:00-17:00頃(初回のみ10:00-12:00)を予定し、途中入退室自由です。場所は基本的に院生談話室を予定していますが、適宜グループ学習室・第一校舎4階教室等も使用予定です。レジュメ準備の都合上、M1・D1以外でご参加の際は原までご連絡をお願いいたします。
<高校段階とカレッジ段階におけるcoreの相違>
p99 L9~
But schools have,after all,a huge task of plain exposition to perform if students are to have in their hands the main tools and elements of knowledge,and,instead of repeating this work,colleges should move on to new relationships and new stages of understanding.
→ここでのnew relationships and new stages of understandingは何を意味しているのか?高校との違いは具体的に何を指すのか?
(ⅰ)もしも単に学問的なものを指しているならば、これは果たして全ての人で共通としてのgeneral educationと言えるのか?
(ⅱ)もしもここでの段階(stage)は、citizenにおいて段階があり、カレッジでは更にcitizenとしての質を向上させることを意味しているならば、
→やはりカレッジにおいてエリート性が生まれてしまうのではないか。
→liberal educationのエリート性を無くそうとした結果、general educationを作り出したが、
カレッジにいけない人たちは、より発展的と思われるgeneral educationを受けられず、citizenとしての質が高められないことになる。
<補足>
もしも説(ⅱ)が成立するものであれば、このレポートが出された後のアメリカの社会背景を探ってみると、Chinese Exclusion Act(中国人排斥法) を1943年に廃止したことを始め、徐々に移民に対する制限をはずしていく動向が見られる。
→この移民の観点ももしかしたらこのレポートの中に内在しているかもしれない。
以上です。
よろしくお願いします。
論点というよりも疑問点が中心になってしまい申し訳ございませんが、よろしくお願い致します。
□”knowledge”とは何か?
・But information is inert knowledge. (p. 59)
→単なる「情報」よりも「活発な」もの
→”knowledge”が有する「活発さ」とは?
_
□”knowledge”と4つの”abilities”との関係は?
・Nevertheless, the real answer to the pessimist is that education is not merely the imparting of knowledge but the cultivation of certain aptitudes and attitudes in the mind of the young. (p. 64)
→”certain aptitudes and attitudes”= 4つのabilities?
→だとしたら,”knowledge”を取り入れることの意味は?
・It may be noted that the three phases of effective thinking, logical, relational, and imaginative, correspond roughly to the three divisions of learning, the natural sciences, the social studies, and the humanities, respectively.(p.67)
→例えばeffective thinkingとGEの関係を述べているこの部分では,3分野の学習との関係を”the imparting of knowledge”などといった表現ではなく”learning”という語を用いて,”correspond roughly”といった表現でその対応関係を示している
→”the imparting of knowledge”≠”learning”?
→ここで「学ぶ」対象は,”knowledge”? “methods of knowledge”? “information”? “certain aptitudes and attitudes”?
_
これを投稿している時点で未だ議論が続いていますが,ひとまず途中経過ということで掲載しておきます。
異文化班で出た論点です。
・human beingとcitizen の関係はどのようなものか。また、そこにhumanityはどのように関係するのか。
・社会科学(social studies)はfactとtruthのどちらと関係するのか。あるいは両方と関係するのか。
そのほかにも、GEはformless(73-74)だとする本文中の記述に対する疑問や、GEで習得するとされるabilityに対する疑問が出て、議論になりました。
以上です。このような形の書き込みでよろしいでしょうか…。少し不安ですが、よろしくお願いいたします。
1. 『教養主義の没落』を読んで出てきた論点
□社会グループ
・社会が教養を規定するのか,既に決まっている教養を社会が維持するのか
・社会的格差が基になっている教養主義が消えることは「社会的進歩」なのでは?
→教養主義を再興させようとする論調は何故出てくるのか?
・教養に対する社会/産業界からの要求はいつ頃から出てきたのか?
・格差のある社会の中で求められるものと,そこで学生が形成した教養
→教養主義の時代はそもそも社会が学生に教養を求めていたのか?
□異文化グループ
・文化的価値を求めるか,経済的価値を求めるか,という対立構図
・未だに「西洋の模倣」に終始している?
→教養としての英語の扱い
→異文化の需要のための英語か,経済発展のための英語か
□教員グループ
・文科大学生が中学・高校の教員となるライフコース
→英・独・仏と同様と言えるのか?
→liberal artsとしての教養とcultureとしての教養の混同
※こうしてまとめてみると今回の議論は社会グループに偏ったようにも思えるが,社会グループの論点は異文化・教員グループでも扱えるものが多いと思われるので,全グループ共通と見ても良いかも。
2. 今後の議論の上での注意点
□これまでの研究及び今回の議論での制度論的な観点の弱さ
□文化資本と経済資本の違い
3. 次週の予定
□各グループで,本日出た論点を基に,これを深められそうな文献を数点提示する
□挙げられた文献の中から,次週以降共通文献として読むものを選定する
□次々週以降は,各グループが2回ずつ,次週に決定した文献についてプレゼンを行い,それについて検討を行う
1. 答申を通して見えてきたサブ・テーマ
□教養と大学教員の関係
・教養を担当する教員の資質
・教養教育における大学と教員の関係
□教養における異文化との接触
・教養として異文化に接することの必要性
・「異文化」の定義の拡大
□教養をカリキュラム内のものとして捉えるか,カリキュラム外のものとして捉えるか
・liberal artsの訳語としての,カリキュラム内での教養
・culture/Bildungの訳語としての,カリキュラム外のものまで含めた教養
→”hidden curriculum”的なものは後者に入る
□教育基本法改正における教養に関する言及の変化
2. グループ分け
□教養に関する文献等を読むための「視点」で分ける
・教養を担当する教員の資質: 原・加藤・折田・山田
・「異文化」と教養: 夏・桜間・嶋田・富塚・間篠
・社会(的結束)と教養: 井上・田中・久保田・寥・中村
□「大正教養主義」は,視点となり得るか?
3. 次回以降課題
□次回
・竹内洋『教養主義の没落』を,各グループの観点から読み,各グループ1人ずつ発表
□次々回以降
・各グループからの題材のつきあわせ
・共通文献の選定