「学識」研究の論点と文献(中村)

『大学の自治』田中耕太郎、末川博、我妻栄、大内兵衛、宮沢俊義 朝日新聞社1963
大学の自治という観点から、大学教員の在り方を考えることもできるとおもい、挙げてみました。本書は座談会形式で、過去の事件(戦前の七博士事件以降)を振り返っているため、厳密性に問題があるかもしれませんが、各事件の同時代人がどう受けとめていたかを知ることができるという点では、利点もあるかとおもいます。全員で読み進めるのに耐え得ないかもしれませんが、「大学の自治」という問題を概観するには資するところがないとは言えないかとおもいました。また、下記の本は、本書で取り上げられた事件について詳しく述べられています。
伊ヶ崎暁生『大学自治の歴史』新日本新書 1965

「学識」研究の論点(やまだ)

天野郁夫著『日本的大学像を求めて』(1991)

「日本的」というところが気になりました。問題設定の妥当性についてはわかりませんが、内容がとてもわかりやすく整理されているので論点を探るには適しているかと思われます。

第一章 変わりゆく大学
マス化の衝撃/大学と国家/企業と大学/社会と大学/大学と学校/組織と管理/教育と研究/分化と序列化/アメリカのモデル性/競争と多様性

第二章 アメリカと日本
比較と歴史と/私学とアメリカ/官学とドイツ/アメリカ・モデル/カレッジとユニバーシティ/三位一体型/州立大学/アメリカ的性格/戦後改革のモデル/正しい認識を

「学識」研究の論点と文献(間篠)

1.モード論について
今日の議論の前までは、現代的な問題をもう一度見てみるのも良いのかなと思っていました。その意味で、今まで読んだ文献の中でも何度か引かれていましたが、マイケル・ギボンズ『現代社会と知の創造――モード論とは何か』(丸善、1997年)をとりあげます。どちらかというと論点をあげて、というよりは勉強という意味が強いのですが。読むとしたら序章と第一章で概要をつかむのが良いかと思います。余裕があれば第三章・第七章も。以下、同書の構成です。
・序章
・第一章 知識生産の進化
・第二章 知識の市場性と商業化
・第三章 研究のマス化と教育のマス化
・第四章 人文科学の場合
・第五章 競争、コラボレーション、グローバル化
・第六章 制度を再配置する
・第七章 社会的に分散した知識のマネジメントに向けて

2.ドイツにおけるWissenschaft(学問/科学)に関連させて
今日の議論で出てきたWissenschaftをもう少し掘り下げるための文献として、F.K.リンガー著、西村稔訳『読書人の没落』(名古屋大学出版会、1991年)をあげてみます。(パレチェクの主張に基づいて)「フンボルト理念」が1910年に再発見されたのだとすると、“Bildung durch Wissenschaft”と言ったときのWissenschaftがどのようなものとして理解されたのか、気になります。特に、価値の問題をどう扱われたのかが大きな問題になるのではないかと思います。そこで、20世紀への世紀転換期におけるドイツの思想状況を確認するということで、同書を取りあげました。何章かに絞って読むとすると、第一章ないし第六章が良いかなと思います。以下、同書の構成です。
・序説 読書人の類型
・第一章 読書人の社会史
・第二章 懐旧の読書人階層
・第三章 政治論と社会理論 一八九〇年―一九一八年
・第四章 政治的対立の絶頂 一九一八年―一九三三年
・第五章 文化的危機の起源 一八九〇年―一九二〇年
・第六章 学問の復活から危機へ 一八九一年―一九二〇年
・第七章 学問の危機の頂点 一九二〇年―一九三三年
・結章 伝統の終焉

以上

「学識」に関する比較調査 図書リスト(富塚)

大学における「知識」とはなにか、という観点から図書を挙げてみようと思います。

当初、「知識」の機能や性質についてみてみたら面白いかな、と思ったのですが、観点が絞れなかったので、ひとまず「知識とはなにか」という包括的なくくりにしました。

・ヤーロスラフ・ペリカン著・田口孝夫訳『大学とは何か』、法政大学出版局、1996年.

第二部に知識に関する章が複数あります。

第7章「大学の任務」、第8章「研究による知識の進歩」、第9章「教育による知識の拡大」、第10章「知識と職業的技能との関連」、(第11章「死者の才能の防腐保存」)、第12章「出版による知識の普及」。

 

・スティーヴ・フラー著、永田晃也、遠藤温、篠崎香織、綾部広則訳『ナレッジマネジメントの思想 知識生産と社会的認識論』、新曜社、2009年.

著者の主要な関心は大学。「マネジメントの考え方が知識に対して何の役に立つのかと問う(7頁)」とのことですが、「知識」について多く頁が割かれており、大学における「知識」を考えるうえで役立つのでは…と考えました。

前篇を通して触れていますが、とくに第二章「知識を問題にする–哲学、経済学、法律」が参考になるのではないかと思います。

 

以上です。よろしくお願い致します。

富塚

「学識」に関する比較研究 図書リスト(原)

1. 南原繁,『大學の自由』(東京大學出版會,1952)

南原に関する二次文献を探していたのですが,大学論・学問論に特化したものが見当たらず…。どうもこの分野ではあまり研究されていない人物のようなので,せっかくなのでいきなり一次文献からあたってみるのもありかなと思います。119ページですが,1ページに12行ほどしかない文庫サイズのものですので,すぐ読めるかと思います。

まだ上記1点しか挙がっていませんが,ほかによさそうなものが見つかりましたら追加します。

福沢諭吉研究の論点(ZHAI)

福沢諭吉の学問観における儒学理解

1.学問と政治分離の視点

福沢を西洋賛美、脱アジア主義者として多く位置付けられている。

拝外と排外の関係は四つの流派[1]

1. 西洋の文明について尊重するが、東洋の思想を近代化を遅らせる要因として排除する。

2. 国家の独立が最大課題であるから、外来思想はすべて排除する。

3. 国家の独立は大切であるが、外国を尊重することとはまた別である。

4. 西洋文化は野蛮なもので排するが、東洋文化は崇高なものとして拝する。

 

福沢を1として位置付けられている事例が多い。さらに、脱アジア、儒教批判として彼を評価する先行研究も多い。

一方、儒学・洋学、伝統近代、儒学的精神の否定と肯定、文明・国民・儒学(福沢諭吉・梁啓超両者の比較)、西学受容・儒学批判(福沢諭吉・康有文)から、儒学との統合のアプローチから彼を論じる研究もある。

この中、『福沢諭吉と儒学を結ぶもの』[2]という著作において、福沢諭吉批判と福沢諭吉儒教批判観に対する反発の先行研究から、福沢諭吉における「天」・「天地人」・「儒教主義」を分析したうえで、福沢諭吉は伝統儒学を指摘し、儒学の原理・理念・価値観を批判したが、儒学そのものを完全に批判排斥しなかったと、結論づけた。

 

よって、張の先行研究を検討したうえで、本研究は福沢が儒学排斥として位置付けられたのは、彼の理論における政治的なものと学問的なものを混同したこと、から出発する。政治上、彼は脱アジアだと主張しているが、彼の学問と政治の分離を主張する視点から、学問上の儒学理解を厳密に検討する余地があるだろう。

 

2.国別比較の視点から中国における福沢諭吉の位置付けを再定義する

中国において福沢諭吉を侵略主義、脱アジア、脱中国の理論家として位置付けの研究は多数である。これらの先行研究を検討したうえで、福沢諭吉の著作を解読してから、彼の学問観における儒学の特徴を生みだすことで、新たな福沢像を作り出す。これらの作業をしたことで、最終的に一冊の著作翻訳作業に取り組みたい。


[1] 平山洋著「福沢論吉における拝外と排外」玉懸博之編『日本思想史 : その普遍と特殊』、1997年、ベリかん社、449-464。

[2] 張建国著『福沢諭吉と儒学を結ぶもの』日本僑報社、1998年。

「学識」に関する比較研究!読書感想(廖)

1、「変わるニッポンの大学―改革か迷走か」
論点:学識は伝授されるのか?開発されるのか?先生に対する新たな要求が求められる

「自分の頭で考えなさいとか、自分の意見を述べなさいといわれるだけど、どうすれば自分で考えることができるのか。どうすれば自分の意見を持てるのか。その方法は、高校でも学ばなかったし、今大学でも教えてくれない...」と思う学生が少なくない。
確か、小学校から高校まで、新しい知識の「開発」より知識の伝授や把握の方が重視されている。学期末、学識の把握をテストで判断する。授業中、もし先生側から知識点への疑問や不明の姿が学生に見られたら、その先生の権威が失うことになると思う。自分の学生時代を振り返って見ると、「学識」を持つように見える先生を尊敬する、信じるという気持ちが強かった。しかし、「問題意識」を学生に意識させないと、新しい学識も生まれない。先生はどのようにその「問題意識」や「権威への疑問」を学生に教えるのか?「先生としての権威の維持」と「問題意識の開発」とのバランスをどのようにとるのか?

2、「中世の学問観」
論点:「好奇心」のための「学識」と「実用」のための「学識」をどう認識すべきか?

デカダンスの時代、知識人と呼ばれる人々は、後に「自由学芸」と呼ばれることになる諸科学を中心とした教養を身につけていた。当時上流社会の政治家と軍人にとって、政治体制の構築、自己主張の発言、相手への説得を実現するため、「言葉」の教養を身につけていなければならなかった。つまり、古典古代の教養人の理想は「雄弁なる人」であった。こういうところは今の欧米教育の中でよく残っていると思う。だから、中世の三学「文法学」「修辞学」「弁証論」という三つの科学を学ばなければならなかった。しかし、教養人は単に「雄弁な人」であるだけでは不十分であった。彼はまた「学識の人」でもなければならなかった。「音楽、幾何学、算術、天文学」という「四科」になる諸科学が教授されることになる。「自由学芸」はその三学と四科から成り立っていた。自由学芸などの学問は「世界理性の自己展開、発出」として捉えられていた。自由学芸を自己目的化すること、単なる「好奇心」のために自由学芸を学ぶことは、厳しく戒められなければならない。
それに対して、ロジャーベーコンによって、「経験科学の「経験」には実践、観察といった意味も含まれ、他の学問によって与えられた結論を、実験、観察によって確証することが経験科学の主な役割である」と分かる。そのため、何より「実験」の重要性を説いたベーコンは実験的側面の先駆者とされる。それゆえ、単なる「好奇心」のため習った「学問」が「実用」と繋がっている。そして、ベーコンの「実験」思想も後世に大きな影響を与えられた。「実用性のある専門」が重視されている現状もベーコンの思想と関わると思う。

注:以上は「中世の学問観」から引用する
「好奇心」のための「学識」と「実用」のための「学識」をどう認識すべきか?未来の教育の行方はどうなるのか?これから、こういう疑問を持ってもっと調べたいと考えている。

以上はアップした文献の読書感想です。まだ完全に理解できていないと思うので、もっとまじめに読む必要があると思います。

「学識」に関する比較研究 文献調査 (中村)

遅くなってしまい、申し訳ありません。

・竹内洋『大学という病ー東大紛擾と教授群像』中央公論新社、2001

大学教授職の問題として、平賀粛学に代表される、戦前戦中期の東大経済学部における人事問題、派閥抗争は、触れられても良いかとおもいました。あくまで、東大経済学部という限られた空間、戦前、戦中という例外的な状況下ではありますが、日本における大学教授職にかんする事件も参考になるかとおもいます。

・黒羽亮一(Kuroha Ryouichi)『新版 戦後大学教育政策の展開』玉川大学出版、2001

 「大学における知」を考えるさいに、大学における「一般教育」と「専門教育」の問題、とくに「一般教育のあり方」について知ることが有益かとおもい、挙げました。第2章「一般教育の扱い方の変遷」で、戦後から現在までの「一般教育」について、中教審や臨教審、大学審議会答申等をもとに、その理念や実践のされ方が描かれています。

「学識」に関する比較研究 文献調査(ZHAI)

慶應にいる最後の一年間ですので、慶應に関するものを少し勉強させていただきたいと思います。

『福澤諭吉著作集』を中心に、彼の学問観を探っていきたいと考えております。今の段階はまったく深く読んでいないが、その第5巻『学問之独立 慶應義塾之記』(慶應義塾大学出版会株式会社、2002年)を読みたいです。予備理解として、以下の論文を読む必要もあるかなと思い、羅列しました。

1.牧野吉五郎「福沢諭吉における啓蒙の性格ー文明国家の形成と学問勧奨の面から」『東北大学教育学部研究年報』第9集、1961、237-268。(日本の近代化の要請にこたえる福沢の文明国家形成論が何を意味し、そのために必要とされた「実学」がなんであったか。そして、彼の学問勧奨の態度に変化の背後に、進歩主義に導かれた議論の本位観がある。)

2.崔淑芬「福沢諭吉の『学問のすすめ』と張之洞の『勧学篇』」『筑紫女学園大学紀要』14、2002、149-168。(日本の西洋文明の先覚者と中国洋務派の代表人物の著作を、西洋文明論と教育論の二点から、相違点を取り出した。)

3.平山洋「『学問のすすめ』と『文明論之概略』 」『近代日本研究』 25、2008、97-123。(二つの著作の関係を、時系列から分析した。)

4.慶応義塾『慶應義塾百年史. 別巻, 大学編』2008。