ガラガラもくもく議事録

 

春GPガラガラもくもく

6月12日(水)13:00-20:00

参加者:金子、功刀、望月、久保、宮下(敬称略)

議事録

 

今、班として何が不明瞭なのか。

・どこで、どの教科で深く考えるのか。

・知識の偏りに対しての中立性の保ち方。

   ①受けない権利→考えられない(班としては考えさせたいのに…)

   ②どの宗教を扱うか→歴史的視点?

   ③記述(目的)…価値観(岩田・藤原)

・”客観的意義”って何?

 

※提供される知識とは?(倫理において…?)

・教科書の記述

・先生の話       →学習指導要領で決まるもの!

・行事などでの体験

⇒それに”偏りがない”とは?in 宗教的寛容の育成の視点

 

宗教的寛容の視点から見て…

”提供される知識に偏りがない”とは?

①宗教教育自体をやらない。Ex.フランス(→日本はこの方向だった!)

②全ての宗教(無宗教も)を均等に扱う。←何を選んでも宗教的寛容は育成されるのでは?

③その地域に合った宗教をいくつか(同じ深さだけ)取り上げる。

 

究極の理想!

BUT 現実的に不可能…

⇒それでは、どうすればいいのだろうか。

⇒宗教的寛容の育成の視点が盛り込まれた宗教教育を行っているとされる国を見てみよう!

※国の選び方…「権威がある」とされる先進国(要エビデンス)

        (=ちゃんと宗教教育ができている)

⇒ex.イギリス…♦融合

   カナダ…♦宗派教育系と公教育との共存をはかる仕組み(フランスとの違い)    

       ♦公立学校の宗派教育はしないが、知識教育はする(多文化主義に基づく)

 

日本の宗教教育は諸外国と比較して何が決定的に異なるのか。

・宗教科がない。

・一人ひとりが宗教を持っていない。

 

 

(2)宗教的寛容の態度の育成に必要なこと

①客観的に宗教的知識を得ること=(1)宗教の知識・意義の客観的理解

②得た知識をもとに、主体的に考えること

 

意義の客観的理解は②とイコールなのでは…?

 

 

先行研究検討で分かったこと

(1)②客観的かつ主体的に意義を考えることができない

        ↑

(2)与えられる知識に価値判断が入り込んでいる&内容が偏っている

→全ての先行研究が同じことを言っている→本当?→データ分析→事実である

 

中村「客観的知識はありえない」

井垣「切実性をもって教えるべき」

聖子「知識がどんな価値観に基づいているのかを明らかにする」

 

今後の予定

・6月15日13時~

・6月17日12時~

・6月18日9時~

 

宿題

・レジュメ作り

1功刀

2(ⅰ)金子

2(ⅱ)①望月

   ②久保

   ③宮下

 

 

6/5 井上班 議事録

井上班 議事録 6/5

参加メンバー:あんなさん、さきなさん、ゆづ、おかぽん、小川

@グル学 13:00~16:00

 

★今回の内容

それぞれ調べてきた論文の内容把握と確認。

・AO入試の意義

・AO入学生の入学後の学力推移

などなど

その中で、AO入試において「一定のものさしで審査することができない」という記述に注目

⇒仮定:AO入試ではいい学生が採れていない。

→その原因は?

→それを解決するためには?

 

★次回までに

いい学生をAOでとるには…

というところを示したい。

⇒いい学生をAOでとれていないという論文を探し、見つけた人は報告して共有。

それをみんなで読む。

 

まとめ回 論点

 

【論点】

Chapter1~Chapter6を通して班で特に気になったこと…

”西洋”と”土着”という相容れない理念的な概念が登場してきた。

これまでの論点で”西洋”と”土着”について対立・融合などの関係性が

話題になっていたが、深いレベルまで話し合うことができなかった。

⇒”西洋”と”土着”の関係性について今一度話し合いたい!

班が抱いた疑問

比較教育学の研究をする際に、

比較教育学者の間で”西洋”の教育の限界が言われており、

その際に土着に着目しようという動きがある。

⇒そこで班は次のような疑問を持った。

①西洋の教育は本当に限界を迎えているのか?

→本当に限界を迎えているとしたら、具体的にはどういった限界なのか?

②西洋が土着から学ぶことは可能なのか?

→(例)Chapter4 P79

”Western and indigenous models of education are each framed by worldviews that

inform their epistemologies and pedagogies.”

西洋と土着の教育モデルが各自の世界観によって構成される。各自の世界観がまた

それぞれの認識論と教授法を形成する。

⇒このように西洋と土着の教育は、異なる背景から成り立ってきた。

※ここでいう”土着”とは、理念的に西洋と対するものとして誕生したものを指す。

【論点】

①と②を踏まえたうえで、土着に着目することで西洋は何かしらの示唆を得ることは

できるだろうか。できるとしたら、それはどのような示唆なのか。