福沢諭吉の学問観における儒学理解
1.学問と政治分離の視点
福沢を西洋賛美、脱アジア主義者として多く位置付けられている。
拝外と排外の関係は四つの流派[1]
1. 西洋の文明について尊重するが、東洋の思想を近代化を遅らせる要因として排除する。
2. 国家の独立が最大課題であるから、外来思想はすべて排除する。
3. 国家の独立は大切であるが、外国を尊重することとはまた別である。
4. 西洋文化は野蛮なもので排するが、東洋文化は崇高なものとして拝する。
福沢を1として位置付けられている事例が多い。さらに、脱アジア、儒教批判として彼を評価する先行研究も多い。
一方、儒学・洋学、伝統近代、儒学的精神の否定と肯定、文明・国民・儒学(福沢諭吉・梁啓超両者の比較)、西学受容・儒学批判(福沢諭吉・康有文)から、儒学との統合のアプローチから彼を論じる研究もある。
この中、『福沢諭吉と儒学を結ぶもの』[2]という著作において、福沢諭吉批判と福沢諭吉儒教批判観に対する反発の先行研究から、福沢諭吉における「天」・「天地人」・「儒教主義」を分析したうえで、福沢諭吉は伝統儒学を指摘し、儒学の原理・理念・価値観を批判したが、儒学そのものを完全に批判排斥しなかったと、結論づけた。
よって、張の先行研究を検討したうえで、本研究は福沢が儒学排斥として位置付けられたのは、彼の理論における政治的なものと学問的なものを混同したこと、から出発する。政治上、彼は脱アジアだと主張しているが、彼の学問と政治の分離を主張する視点から、学問上の儒学理解を厳密に検討する余地があるだろう。
2.国別比較の視点から中国における福沢諭吉の位置付けを再定義する
中国において福沢諭吉を侵略主義、脱アジア、脱中国の理論家として位置付けの研究は多数である。これらの先行研究を検討したうえで、福沢諭吉の著作を解読してから、彼の学問観における儒学の特徴を生みだすことで、新たな福沢像を作り出す。これらの作業をしたことで、最終的に一冊の著作翻訳作業に取り組みたい。