「学識」に関する比較研究 図書リスト(原)

1. 南原繁,『大學の自由』(東京大學出版會,1952)

南原に関する二次文献を探していたのですが,大学論・学問論に特化したものが見当たらず…。どうもこの分野ではあまり研究されていない人物のようなので,せっかくなのでいきなり一次文献からあたってみるのもありかなと思います。119ページですが,1ページに12行ほどしかない文庫サイズのものですので,すぐ読めるかと思います。

まだ上記1点しか挙がっていませんが,ほかによさそうなものが見つかりましたら追加します。

福沢諭吉研究の論点(ZHAI)

福沢諭吉の学問観における儒学理解

1.学問と政治分離の視点

福沢を西洋賛美、脱アジア主義者として多く位置付けられている。

拝外と排外の関係は四つの流派[1]

1. 西洋の文明について尊重するが、東洋の思想を近代化を遅らせる要因として排除する。

2. 国家の独立が最大課題であるから、外来思想はすべて排除する。

3. 国家の独立は大切であるが、外国を尊重することとはまた別である。

4. 西洋文化は野蛮なもので排するが、東洋文化は崇高なものとして拝する。

 

福沢を1として位置付けられている事例が多い。さらに、脱アジア、儒教批判として彼を評価する先行研究も多い。

一方、儒学・洋学、伝統近代、儒学的精神の否定と肯定、文明・国民・儒学(福沢諭吉・梁啓超両者の比較)、西学受容・儒学批判(福沢諭吉・康有文)から、儒学との統合のアプローチから彼を論じる研究もある。

この中、『福沢諭吉と儒学を結ぶもの』[2]という著作において、福沢諭吉批判と福沢諭吉儒教批判観に対する反発の先行研究から、福沢諭吉における「天」・「天地人」・「儒教主義」を分析したうえで、福沢諭吉は伝統儒学を指摘し、儒学の原理・理念・価値観を批判したが、儒学そのものを完全に批判排斥しなかったと、結論づけた。

 

よって、張の先行研究を検討したうえで、本研究は福沢が儒学排斥として位置付けられたのは、彼の理論における政治的なものと学問的なものを混同したこと、から出発する。政治上、彼は脱アジアだと主張しているが、彼の学問と政治の分離を主張する視点から、学問上の儒学理解を厳密に検討する余地があるだろう。

 

2.国別比較の視点から中国における福沢諭吉の位置付けを再定義する

中国において福沢諭吉を侵略主義、脱アジア、脱中国の理論家として位置付けの研究は多数である。これらの先行研究を検討したうえで、福沢諭吉の著作を解読してから、彼の学問観における儒学の特徴を生みだすことで、新たな福沢像を作り出す。これらの作業をしたことで、最終的に一冊の著作翻訳作業に取り組みたい。


[1] 平山洋著「福沢論吉における拝外と排外」玉懸博之編『日本思想史 : その普遍と特殊』、1997年、ベリかん社、449-464。

[2] 張建国著『福沢諭吉と儒学を結ぶもの』日本僑報社、1998年。

「学識」に関する比較研究!読書感想(廖)

1、「変わるニッポンの大学―改革か迷走か」
論点:学識は伝授されるのか?開発されるのか?先生に対する新たな要求が求められる

「自分の頭で考えなさいとか、自分の意見を述べなさいといわれるだけど、どうすれば自分で考えることができるのか。どうすれば自分の意見を持てるのか。その方法は、高校でも学ばなかったし、今大学でも教えてくれない...」と思う学生が少なくない。
確か、小学校から高校まで、新しい知識の「開発」より知識の伝授や把握の方が重視されている。学期末、学識の把握をテストで判断する。授業中、もし先生側から知識点への疑問や不明の姿が学生に見られたら、その先生の権威が失うことになると思う。自分の学生時代を振り返って見ると、「学識」を持つように見える先生を尊敬する、信じるという気持ちが強かった。しかし、「問題意識」を学生に意識させないと、新しい学識も生まれない。先生はどのようにその「問題意識」や「権威への疑問」を学生に教えるのか?「先生としての権威の維持」と「問題意識の開発」とのバランスをどのようにとるのか?

2、「中世の学問観」
論点:「好奇心」のための「学識」と「実用」のための「学識」をどう認識すべきか?

デカダンスの時代、知識人と呼ばれる人々は、後に「自由学芸」と呼ばれることになる諸科学を中心とした教養を身につけていた。当時上流社会の政治家と軍人にとって、政治体制の構築、自己主張の発言、相手への説得を実現するため、「言葉」の教養を身につけていなければならなかった。つまり、古典古代の教養人の理想は「雄弁なる人」であった。こういうところは今の欧米教育の中でよく残っていると思う。だから、中世の三学「文法学」「修辞学」「弁証論」という三つの科学を学ばなければならなかった。しかし、教養人は単に「雄弁な人」であるだけでは不十分であった。彼はまた「学識の人」でもなければならなかった。「音楽、幾何学、算術、天文学」という「四科」になる諸科学が教授されることになる。「自由学芸」はその三学と四科から成り立っていた。自由学芸などの学問は「世界理性の自己展開、発出」として捉えられていた。自由学芸を自己目的化すること、単なる「好奇心」のために自由学芸を学ぶことは、厳しく戒められなければならない。
それに対して、ロジャーベーコンによって、「経験科学の「経験」には実践、観察といった意味も含まれ、他の学問によって与えられた結論を、実験、観察によって確証することが経験科学の主な役割である」と分かる。そのため、何より「実験」の重要性を説いたベーコンは実験的側面の先駆者とされる。それゆえ、単なる「好奇心」のため習った「学問」が「実用」と繋がっている。そして、ベーコンの「実験」思想も後世に大きな影響を与えられた。「実用性のある専門」が重視されている現状もベーコンの思想と関わると思う。

注:以上は「中世の学問観」から引用する
「好奇心」のための「学識」と「実用」のための「学識」をどう認識すべきか?未来の教育の行方はどうなるのか?これから、こういう疑問を持ってもっと調べたいと考えている。

以上はアップした文献の読書感想です。まだ完全に理解できていないと思うので、もっとまじめに読む必要があると思います。

5月17日発表原稿「19世紀前半のイェール・カレッジにおけるカリキュラムの「教育」化と「脱文脈」化」(原)

5月17日に大学院ゼミ1限で発表予定の原稿です。

http://matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/05/9d3019e0d3ed567d8ef04ab641c971e9.pdf

時間があまりありませんので,ご一読の上,可能であれば先に不明な点等をコメントで投稿いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

 

D2 原