迎春 2016

関東では、晴天の元旦を迎えました。北風が少し冷たいですが、、、。
皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
年賀2016a昨年のお正月は、喪中にあたりましたので、新年のご挨拶は控えさせていただきました。もっとも今年も、前々から予告しておりましたように、個人としてのお年賀状(郵便)はお送りせずに、WebやMailでご挨拶を申しあげることにさせていただきます。失礼をお許しいただければ、と存じます。

振り返ると2015年は、私自身も、また家族にとってもさまざまな変化のあった1年でした。
春には2度、アメリカに行く機会がありました。3月は、ずっと気になっていたネイティヴ・アメリカンの足跡をたずねて、南西部へ。4月には、懐かしのシカゴ。アメリカ教育学会(AERA)の大会と世界教育学会の理事会(WERA)に参加してきました。もちろんハイド・パークにも。4月でも、というかやはり予想通り、小雪混じりの天候にも遭遇しました。シカゴでは同道した家族がアクシデントにも見舞われ、住み慣れた場所だからこそ、油断せずに、安全に気をつけなければならないことを学びました。それでも家族それぞれに、第二の故郷シカゴの街の再訪を楽しみました。

2015年の前半は、学部の仕事としては、創設125年の諸行事、特に6月に開催された記念講演会・シンポジウムが大きかったです。一連の記念行事を通して、あらためて文学部の学術の幅広さと奥深さ、そして底力を実感することができました。
そして後半、、、。7月1日の「選挙」で、まったく予定が狂ってしまいました。その後の半年間は、常に緊張しながら過ごしてきたように思います。就任後3ヵ月経ちましたが、幸い、日吉主任、学部長補佐、学部長秘書、三田・日吉の両学習指導主任、関連する二つの大学院の研究科委員長、そして「地元」の教育学専攻をはじめとする多くの方々のあたたかいサポートを得て、私でもなんとかかんとか重責を担うことができているように思われます。ほんとうにありがとうございます。そして今後ともよろしくお願い致します。
ご存知のように、日本の人文学・社会科学の学術にかかわる環境には厳しいものがあります。これからも高大接続改革や教員養成制度改革など、喫緊に対応しなければならない課題も厳しく迫ってきています。いまこそ慶應義塾の文学部がやらなければならないこと、できることがあるように思えます。引き続き周囲の協力を得ながら、立ち向かってゆきたいと思います。
そして校務の多忙さのしわ寄せは、どうしても担当する大学院生や学部学生に及んでしまいます。院生の進路や学部ゼミの運営など、悩むことも多く、2016年の課題のひとつです。ただ、毎年OGOB会には多くの卒業生が駆けつけてくれるなど、励まされることも少なくなく、できる限りの力は注ぎたいと思っています。(ただ、なんとか、自立してほしい、とは思うけど、、、。)

学会関係では、9月にようやく教育思想史学会会長として、3年間の任期を終えることができました。「歴史」(と「比較」)へのこだわり、アクチュアリティの追求、学会間連携など、いくつかテーマを掲げましたが、こちらも事務局スタッフや理事会、会員のみなさんの協力を得て、ある程度のことは達成できたのではないか、と思っています。ただし積み残した仕事も。『教育思想事典』増補の編集については持ち越しです。こちらも多くの執筆者の協力を得ながら、2016年半ばには、ようやく形にできる見通しです。
このほか昨年後半からは、教育哲学会の機関誌編集委員長、そして(こちらはまったくの想定外だったのですが)日本教育学会の機関誌編集委員長としても責任を担うことになりました。日本教育学会は、国際交流にもかかわってきているので、世界教育学会(日本開催)のことなども課題となっています。いずれにせよ、学部長職とともに、なんとか2年間の任期の責を果たしたいと思います。

家族に関しては、みな健康で過ごせたことに感謝しています。愚息は、就職も希望通りに決まり、おそらく今年の4月からは家を離れることになります(とは言っても、すでにあんまり家に帰ってきませんが)。4年間とりくんだ「●●実」も、最後の年にはそれなりの責任を果たせたようにきいています。妻の仕事も順調なようで、2016年はひょっとしたらステップ・アップもあるかもしれません。いつも彼女のフットワークの軽さには脱帽しますが、強盗に襲われない程度に、楽しく世界の各地を闊歩してほしいと思っています。

年賀はがきには書ききれない近況報告となりました。
こんな私(たち)ですが、友人、職場などの関係者のみなさんに支えられながら、新たな気持ちで新年に向かってゆきたいと思います。
どうぞ、今年もよろしくお願い致します。
そして、皆様の新年もすばらしい一年となりますように。

2016年元旦